人生にたった一度だけ、テレビに出たことがあります。
いえいえ、警察に逮捕されたとか、そういう話じゃないですからね!!(´・ε・`)
報道番組とくダネ!にインタビューされたことがありまして。熊本地震のときにtwitterに投稿した動画や写真が、とくダネスタッフの目についたらしく、お宅まで伺うので取材をさせてくれないか、という話になったのです。取材のきっかけになった動画は、震災後に水圧が低くなったのを示すために、洗面所の水道をひねるものだったと記憶していますが、それが番組テーマに合致したらしくて。
東京から報道スタッフが何人も我が家に訪ねてきて、震災時の生活用水の確保の難しさとか、飲用水以外でも必要な水が多くあることを、テレビカメラの前でしゃべった記憶があります。(一応、どんな内容だったのかは末尾に動画を載せておきます)
平成28年4月14日、21時26分、前震。
益城町を中心に、最大震度7の地震が熊本を襲いました。わたしの住む熊本市南区では、震度6強となっていました。果たしてこのアパートの天井はもつんだろうかと、不安になった記憶があります。その翌日の夜、お風呂に入ろうとしたら、このようにお湯が濁ってしまったのです。
おそらくはどこかの給水管が破断したのだと思われますが、このときは、数時間後に本震が来ると想像すらしていなかったので、この汚い水でもためておかなかったことを、あとで死ぬほど後悔することになるのです。
熊本地震を経験している人なら誰でも知っていることですが、いちばん水が必要なのはトイレなんですよね(´・ω・`)
おいおい、これ片付けるのかよぉ~・・・(´д`)
片付けを後回しにすることができない、せっかちな性格なもんで、ええ、一度はきれいに片付けましたよ。クロスや壁に穴は開いてましたけどね。熊本でもこんな大きい地震があるもんだね!いやあ今回はびっくりしたよ・・・。
かーらーのー
4月16日1時25分、本震。
はああ???!!昨日片づけたばっかなんですけど!?つД`)
再度、前震と同規模の震度6強の地震が、我が家を襲いました。うちは大事な大事なオカメインコがいるもんで、本震でグラグラ揺れている間、寝ているインコのケージが倒れないように支えていました。またインコが驚いてパニックにならないよう、夫婦そろって声かけをしてオカメインコをなだめていました。このへんが我が家らしいですね。
ぼくの部屋もみます?
これをはじめて見たときの衝撃、わかります?
ホームシアターからパソコンから何から、メチャクチャ。このときばかりは、もう最低限の片づけだけして、寝ましたね(;´・ω・)
屋外に出て外の様子を確かめる人が多いのか、真夜中にもかかわらず、外に多くの人がでてきていました。実家にはLINEで互いに生存確認をしましたが、LINEで家族間のホットラインを作っておいてよかったと思いました。
所変わって、これは震災後、某ショッピングモールの写真です。当時は自営業者でしたので、仕事のない日は積極的に震災復興のアルバイトをいれていました。天井の石膏ボードはすべて崩落し、軽天やらダクトやらが丸見えです…。大規模商業施設はだいたい、これと同じようになっていました。熊本市内は家屋の倒壊こそ少なかったものの、多かれ少なかれ、室内はめちゃくちゃになっていましたね。
震災復興系のバイトは、瓦礫の撤去、オフィス家具や什器のいれかえ、売り物にならなくなった商品の廃棄、故障した大型冷蔵庫の搬入などがありました。
阿蘇方面に行くと熊本地震から完全に元通りにはなっていないのだと、改めて思い知らされます。国道57号の阿蘇新ルートが開通すれば、復興の区切りがついた感じがするでしょうかね。あのときの地震の怖さを忘れてはならないと思います。
地震の揺れを建物に伝えない、減震パッキンUFO-Eを当社でおすすめするのも、あの震度7を2回直撃された益城町で、建物倒壊ゼロを達成した制震部材であるからです。家具の倒壊すらなかったといいますから、減振力のすごさは折り紙付きです。
ヨカイエの家づくりでは、直下率や偏心率に気を付けた設計をするのはもちろんのこと、剛床構造や耐力壁を用いて耐震性を高めた強い構造体を作った上で、さらに揺れを伝えない部材を使うことで、二重の地震への備えをしております。
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