妻の実家が芦北町にありましてね・・・。このたびの豪雨で発生した熊本県南部水害により、妻の実家が床上浸水の被害を受けたということで、急遽有給休暇をいただいて、復旧のお手伝いに行ってきました。

 

大薮さんからは、「こういうときは大勢で一気にやったほうがいいから、社員総出で手伝いに行こうか?」とまで言ってくれていました。さすがに個人的な都合でみなの仕事の手を止めてしまうのも心苦しく、それは辞退しましたが、気持ちは本当にありがたかったです。また、前日に、心配した川口さんからも電話をいただきました。みんな本当にやさしいなあ・・・。

 

 

熊本市南区から出発して、芦北町に向かうのですが、国道3号など下道はことごとく土砂流入により通行止めとなっていましたので、南九州道を利用するしかありません。激しい雨と強風でハンドルを取られそうになりながら、スリップしないようにそろりそろり慎重に高速道路を進んでいきました。

 

 

芦北ICを降りてはじめて感じた異変は、道路が茶色く泥で汚れていることでした。普段はアスファルトが広がる道の駅「でこぽん」の駐車場は、泥が覆い被さっていました。

 

 

芦北町役場は災害派遣の自衛隊の出張所になっていました。芦北町の公共施設は軒並み床上浸水の被害を受けており、町役場はおろか、完成したばかりの消防署まで浸かってしまったのですよ。

 

水辺の都市なんだから、重要施設はせめて小高い場所に作ればいいのに・・・と思っても、後の祭りですね。

 

 

妻実家は床上70cmほどの浸水だったといいます。それでも義母は「うちなんかは、まだいい方よ。」といいます。この近くにある設計士の叔父さんの家は、100cmを超える浸水に遭いましたし、人吉なんかも1階全部が浸かるほどの浸水となりましたから、それを考えて言っているんだと思います。

 

でも、床上の時点で畳も家具も泥を被って使い物にならなくなりますし、かなり甚大な被害だと思います。男性陣は、まずは畳を剥がして屋外に放り出す作業を行いました。女性陣はぞうきんで泥をかぶった床板を拭き掃除していました。泥を吸った畳の重いこと・・・。大人4人居ないと運べません。

 

 

台所とリビング部分だけを徹底的にきれいにしました。そこだけ終わっていれば、生活はできますからね。客間や各居室などは後回しです。

 

ちなみに水を吸って、床板がうまくはまっていません・・・。木製建具なども水を吸ってしまい、トイレのドアがしまらなくなっていました。基礎と床板を乾燥させたら、あとは新しい畳をふきかえたらいいのですが、なにしろ畳屋さんが被災していますからね・・・。いつ畳を持ってこれるか分からないそうです。畳屋さんとは付き合いがあるから、他市から持って行けばいいというわけではないのです。

 

 

義母が「昔ながらの布基礎でよかった。」と言っていましたが、たしかに水害を考えるならば布基礎であれば、床下の水は土中に染みこんでくれるので排水の手間がありませんね。

 

これがべた基礎であるなら、コンクリートで固められた基礎部からの排水作業もしなくてはなりません。

 

 

泥を吸った畳など、軽トラックで4回ほど、災害用の臨時廃棄場所に運び入れました。見渡す限りのゴミの山。熊本地震で見た風景ですが、またこうして目の当たりすることになるとは思いませんでした。

 

 

泥をかぶったため捨てられた、未開封のお酒やトイレットペーパーなど。芦北町にあるドラッグストアやディスカウントストアが捨てているものですが、パッケージが泥をかぶっただけで、実のところ中身は無事なので、持って帰る人もいらっしゃいます。わたしはそこまでの鋼の精神はないので無理でした。

 

 

ドラッグストアやスーパー、ホームセンターなどでは、復旧作業が続いていました。ほとんどのお店が休みになっているなか、ドラッグコスモスが開店してたのがびっくりでしたね。今回の被災地のなかで、唯一休業店舗が1つもないのがドラッグコスモスなんです。

 

言っておきますが、ドラッグコスモスが被災していないわけではないのです。全国各地から復旧のために人員を集結させて作業させているのだと思われます。なんだかすごい会社だ・・・。

 

 

あらためて水のおそろしさを思い知りました。浸水開始が朝6時くらいだったといいますから、これがもし夜中であったなら・・・と思うと恐ろしいです。

 

川辺川ダムがもしあったなら・・・、と思わずにはいられません。こればっかりは民意で決まったことなので、とやかく言うことではないのですけどね。